ごはんは世界を平和にする。

ミニキッチンから無人島まで、どこでもごはん作りに行きます。相談受付中!

結局、間空きすぎてる。(笑)

なんだかあっという間に月日が経ちまして、気付けば年が明けていて。笑

どうしてもブログ更新ってめんどくさい。←

今年はきちんと残していくことをしていきたいと思っています。

 

カレー部の打ち合わせとキッチハイクのインタビューで「料理」への想いを再認識。

「一汁一菜でよいという提案という本があるんですよ。」

この一言がきっかけとなって料理と愛情の話は白熱しました。

毎日の食事作り。家庭のキッチンでは毎日のように行われています。

お母さんが料理をすることがあまりにも当たり前のこと過ぎて、それが愛情であることに気づくのは自分が料理をするようになってから。

体は資本だから、食べることが基本だから、と毎日おかずを用意して、家族のために食事を用意してくれる。

家を離れて、帰ってきたら「きちんと食べてる?」と気にかけてくれる。

ちょっと体調を崩したら、栄養のあるものを食べていないからでしょう、と言われてしまったり。

体を作る、食事の大切さはみんな知っている。

だけど、日々の忙しさややることの多さを言い訳に、手作りすることが億劫になってしまう。

私もそれは同じです。学生の頃や、転職して島根で働いていたころは自炊を頑張っていました。

特に学生の頃は、学生団体の仲間のたまり場で、鍋をした翌日の朝は私が雑炊を作って朝ごはんを振舞う。それが日常でした。

転職してお金がなくて(笑)、旅館の朝シフトだったので夕方の時間に余裕がありました。

15時に終わって、温泉に入ってから家に帰って、料理をして夕飯とお弁当を作って翌日出勤。知り合いも少ないので、ごはんや飲みもあまりなかったのも幸いしました。

熱海で働き始めて、毎日が忙しく、朝の5時半に出勤、夜12時に退勤、という日々が続き、ひとりのごはんは頑張らなくなりました。

誰かが食べてくれるなら、がそのときは原動力だったように思います。

結婚して、家出するまでも、ごはんは毎日作っていました。ごはんを作ることは苦ではなく、むしろストレス解消。

母親に「よく嫌いな相手のために作れるわね」と言われていましたが、当時の私はCOOKPADに掲載するために作っていたようなものでした。

家出してから離婚するまでの半年は、実家で毎日何か作っていました。COOKPADと自分の家族のため。(笑)

料理は究極の愛情表現。

つい先日。毎月1回開催しているスパイスカレー研究部の番外編打ち合わせを行いました。

上記、すこし脱線してしまいましたが、そこで土井善晴さんの本の話になりました。

毎日の料理の先には、食べてくれる人の顔が浮かびます。

一番身近な家族なら、体調は大丈夫だろうか?何を食べたいだろうか?と献立を考えることから愛を注ぐ時間は始まっています。

お祝いのときには好きなものを作ってあげよう、とか。

きっと独り暮らしは魚を食べないだろうから、魚にしてあげよう、とか。

献立を考えて、買い物に行き、料理を作る。

みんなでそろって食卓を囲み、美味しい!という言葉を聞くだけでいい。

そこに金銭の収受は発生しないし、無償の愛情でしかない。

シェアハウスの場合は材料費だけは貰ってますが。(笑)

 

「何作ってもうまい」

「しずくのごはんが食べたい」

って言ってくれるシェアハウスメンバーがいるから、ついつい頑張っちゃうんですよねー(笑)

そして何よりも、一緒に食べるからこそちゃんと作ろう、って思う。

どうしても、一緒に食べる、がないと私も作らなくなってしまって。

めんどくさーーい!ってなっちゃうんです。自分ひとりのためには、頑張れない。

 

キッチハイクで始めた朝食Pop-Upも、そういえば一汁一菜。

一応ちょっとしたおかずはつけていましたが。

ごはんと味噌汁、お漬物だけでいい!はうちの実家の朝食スタイル。

最近は起きたくな~い、が勝って朝食やってないですが、またあったかくなったらやろう。

 

結局だらだら書いてしまって着地点の見えないこの文章。

ごはんって大事、ってことです。(笑)